『スクリーム4』(ウェス・クレイヴン)

 冒頭、「何のホラー映画見ようか?」とか相談している女の子二人のうちの会話が切り返しで捉えられる。その際、キッチンの側にいる女の子を写した画面で彼女の傍らにはナイフがしまっている台があり、その不気味さが一瞬私たちを不安にさせる。しかしすぐさまカメラは彼女が会話を交わしているもう一人の女の子の方へと切り返し、私たちの視界からナイフの台は消えてしまうため、私たちはその不安は杞憂であるかもしれないと思い直す。しかし再びカメラが切り返すと、今度は彼女はホラー映画の殺人シーンについて語りながら傍らにある台から一本のナイフを取り出す。その彼女の姿を目にし、さらにナイフが取り出される音を耳にした者は先ほど感じた不安はやはり間違いないことを確信する。「彼女たちは殺されるに違いない。」と。
 『スクリーム4』の魅力とその恐さとは、こうした、間違いなく何かが起るに違いないという確信ともしかしたらそれは間違っているかもしれないという感情の揺らぎの中に観客を巻き込むことによって成立している。例えば冒頭の次のシーン。別の二人の女の子たちがソファに座り、それまで一緒に見ていたホラー映画についてあれこれ互いに言い合っている。そんななかで映画をけなしながらしゃべりまくる方の女の子が冷蔵庫から持ってきた缶を開ける音が異様に大きい。それを見た(聞いた)観客はやはりこの後すぐ何かが起ることを本能的に直感するが、それをうなずかせる明らかな理由がある訳ではない。故に観客は「これはどうなのかな。」「なんかこわいな。」という感情とともにその後の画面を注視することになる。そして予想通り惨劇が起るのを目の当たりにしてやはり先ほどの確信が間違っていなかったことを確認するのだ。
 確信とその揺らぎ。この微妙な感情。これを人はサスペンスとも呼ぶ。この冒頭の二つのシーンで本作に招き入れられた観客は映画全編を通してこの微妙な感情を辛抱するレッスンを強いられる。電話が鳴るたびに、風鈴の音が響くたびに、犬の鳴き声が聞こえるたびに、私たちは「またか。」という思いを抱きながらこの不安な感情とともに過ごさねばならない。しかし元来ホラーを見に行くとは「恐い。けど見たい。」という、このような感情を楽しみにいくものではなかったか。とすれば『スクリーム4』はそれにはもってこいのホラー映画である。必見!!