デス・プルーフ in グラインドハウス

デス・プルーフ プレミアム・エディション [DVD]

なぜだか知りませんが、『デス・プルーフ』が嫌いだと思われているらしい、3年の玉田です。勘違いも甚だしい。ただこの機会に、過剰さそのものを好む趣味は野蛮だと思う、と敢えて言っておきましょう。

何が素晴らしいって、そりゃ、やっぱりラストのカーアクション&フィナーレ。アクションそのものもいいんですが、追いかける側と追いかけられる側の転換の鮮やかさ。自分たちの身に起きたことが信じられないといった空気感を一瞬にして描ききり、もう次の瞬間には、捕獲に動き出すというヘアピンカーブをドリフトで曲がるような素早い交代劇には、唖然としつつ、頬がゆるんで、密かにこの展開を待っていたことに気づかされます。ぼくだけかもしれませんが、「キートンの大列車追跡」を思い出し、かつ、交代シーンにはそれ以上のスピードがあります(さらに、ボンネットに乗ってる点や、道が上下に分かれる点なども含めて、どうも大列車追跡が思い浮かんでしまいます)

ただ、この映画に関しては、終盤だけ見て満足しようなどというのはもったいない。常に無駄にセクシーで、ぐだぐだな会話が延々と続く車内や、同じくぐだぐだしたバーやカフェの会話シーンがあってのフィナーレです。この構成が何も着飾らず、荒々しく露呈している美しさ、力強さ。かつ構成は、「積み立ててきたものを利用する最善の方法は、それを無に帰すことだ」とも言わんばかりの働きのみをしています。このいわば矛盾、または映画内の時間の流れを愛することこそ重要です。時間を感じない映画=いい映画とは限りません。『恋空』のほうが、時間は感じないかもしれませんが、時間を感じなければ、『エレニの旅』での永遠が一点に集結する途方もない瞬間を味わえません。「時間を感じない」というのは、観客が映画内の時間と同一化したことで、現実の時間を感じなくなった場合のみ、称賛の言葉となるべきです。それには観客側の普段の努力も必要でしょう。映画は屈折した時間芸術です。また、物語を自ら省みず、生真面目に積み立て続けるのがいい映画の条件ではないでしょう。

話がそれました。重要なのは、映画の時間の流れに寄り添うこと、身を任せてみること。そうすれば、ぐだぐだという心地よさを味わえるし、時間の流れに身を任せることは、車をぶつける、足に触れるといった行為が成し遂げられる寸前に在る、「直前の快楽」を味わう条件であり、結果です。そうしているうちに、転換点で映画がとんでもない加速をしていることに気づき、そのまま観客と共にラストに突入していく『デス・プルーフ』が僕は大好きです。