『ロスト・イン・トランスレーション』(ソフィア・コッポラ)

 なんといってもソフィア・コッポラの魅力はその「慎ましさ」、「さりげなさ」にあるでしょう。『ロスト・イン・トランスレーション』はその物語からして「慎ましい」、単純なものです。時間も102分と短い。
 かつてのハリウッドスターのボブ・ハリス(ビル・マーレイ)がサントリーのCM撮影の為に東京を訪れる。ここで彼は、異邦人として、言葉も文化も違う日本人達に囲まれる事で居心地の悪い思いをしています。しかし彼はアメリカに残してきた妻に辟易しているため、家に帰りたくもない。こうして彼は自分の居場所を見つけられぬまま宙ぶらりんの状態で日本での仕事をこなしていく事になります。そしてそこにシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)という女性が登場します。彼女はカメラマンの夫の仕事に付き添う形で東京にやって来ましたが、夫は仕事で忙しく、異国での一日のほとんどをひとりぼっちで過ごす事になります。その寂しさの中で彼女は夫とのこれからの結婚生活への不安、自分の人生への焦りを抱く様になり、鬱屈した気分で東京に滞在し続ける事になります。こうした互いに孤独を抱えた男女の出会いを基に、映画は二人の恋愛関係になりそうでならない、それ自体「慎ましい」関係を描いていきます。
 では次に映画の舞台空間に目を向けてみますとこれが素晴らしい。二人は高級ホテルに滞在しているのですが、部屋に一人取り残されるシャーロットの寂しい様子がその部屋の広大さによって際立たされる事となります。あるいは夜ホテルのバーで一人ぽつんと酒を飲むボブの様子もそのバーの広大さ故に見る者を寂寞の念に包む事となるでしょう。このバーで二人は初めて出会う事になるのですが、その瞬間も離れた席によって距離を介した互いの視線が交わるという、「さりげない」演出がなされている事に息を飲みます。この後二人は「友達と一緒に出かけるから、良かったら一緒に来ない?」といった台詞や留守番電話のメッセージ等による「さりげない」誘いの言葉のもと、一緒に出かけ、仲を深めていく事になります。(それに比べてボブの妻からのFAXや電話、シャーロットの夫の友人であるアメリカ人女優の執拗さと言ったら!)とは言え上述した通り、二人はその後恋愛関係(肉体的にという意味です)になるといった事はなく、情熱的な感情を排した形で関係が保たれていきます。(それ故シャーロットがボブとバーの歌手が寝た事を知り、一種の寂しさを感じたとしても、二人の関係は崩壊には至らない。)それがなぜなのかは分かりません。二人は内面的に同一の問題を抱えた故に仲良くなったのだから、恋愛の感情は抱かないのかもしれませんし、お互いに家族がいる事がある一線を超える事を二人にためらわせているのかもしれません。しかしそういった事を問う事にはあまり意味がないでしょう。それよりもここでもコッポラの演出が「慎ましさ」の点において一貫していることを見逃さないことが重要だと思います。(例えばエレベーター内で互いに少し照れながらおやすみのキスをする二人のシーンを観よ。)
 しかしこうした二人の関係も終焉の時が迫ります。ボブが仕事を終え、アメリカへと帰らねばならないのです。「帰りたくない」と言うボブにシャーロットも「寂しくなるわ」と応えはするものの、二人は今まで通り感情の高まりを抑え、家族の下へと、元の鞘へと収まる事を選択する事になるでしょう。そして映画はラストシーンを迎えます。未見の方も多いでしょうから詳述は控えますが、二人が再会する瞬間、最も感情が高まりそうになる瞬間に、それを突き放すかの様に唐突に挟まれる二人を捉えるロングショット、その後のボブの言動をどうか注視して頂きたい。そう、それは最後の最後まで「慎ましい」、「さりげない」ものなのです。



石田晃人