BUCKING BROADWAY(ジョン・フォード,1917)
アメリカはやっぱ広いなー、土地余ってるなー。出だしから画面の奥行きが凄いことになっていて、馬鹿らしい疑問だけど携帯電話もない時代、どうやって指示出したのか?ラッパかなぁ。カメラから谷を越えた向こう側に役者がいたりする。(その割には、ワイオミングとニューヨーク間の距離をほとんど感じさせないところが不思議)
とにかく、ただ向こうに山が見えるだけではダメで、そこに馬とカウボーイが点のようになってでもいて、初めて奥行きが生まれることを教えてくれます。
不思議なところもいくつかあって、ハリー・ケリー演じる主人公とそのフィアンセが、ハリーの建てた家で暖炉に火をともし、結婚の約束を交わすシーンは、どう見てもハリーは悪役のようなライティングになっていて、ちょっと怖いのに、彼女と、彼女をハリーから奪い去っていく物語上の悪役であるはずの馬のディーラーが仲睦まじくなるシーンが雄大な山々を背景にとても美しい。
とにもかくにもニューヨークの街中を疾走する馬、そしてラストの乱闘シーンは迫力あるのにどこか笑えるジョン・フォードの映画でした。
あっ、それと、ホテルのボーイがとてもいい味を出してます。
玉田
Baden verboten (Johann SCHWARZER,1906)
オーストリアにルノワール『草の上の昼食』の湖の源泉を発見!と言いたくなるような映画。1分7秒ながら十分に楽しめる。
水と女性に目を奪われていると、画面奥の森から警官がやって来るあたり、なんだか夢のよう。で、女性はカメラの方に了解をとってから岸に上がるあたりもいい。で、あとのアクションはずっと画面右上あたりで行われて、カメラはパンして中心に捉えようとしないため、画面の8割は水が揺らめいている。
最初、水が主題となり、やがて目は岸のアクションに移り、しばし警官と女性のやり取りを見つめるのだが、ちょっと長いため、再び視線は画面上を泳ぎ、ゆらめく水がずっと映し出されていることに気づいて驚き、あな忙し、さてどこへ焦点を合わせて見ればよいやら…
Les Surprises de l'amour - Comique Fou rire (マックス・ランデ、1909)
なんてことない話だけど、面白い。画面左へ出ていき、次のショットで左から出てくるというなかなか今じゃないものも見れます。が、それよりなにより、ピアノの中に隠れると痛い目にあうようで…。
この家のメイドは、ほぼ窓の外監視係。
玉田
『四人の息子』(ジョン・フォード,1928)
泣いた、泣いた、もう、むり。90分あったら、最近泣いてなかったら、郵便局に内定が決まったら、今すぐ早稲田大学中央図書館4FのAVルームへ。
玉田
『ナイト・アンド・デイ』(ジェームズ・マンゴールド)
やり過ぎと慎ましさの共存。冒頭の飛行機の墜落から始まって、カーチェイス、廃墟での銃撃戦、小島でのヘリコプターの襲来など、めまぐるしくシーンが交代していく本作は適宜効果的な省略をはさむ事によって全体としては透明な印象に収まっている。「もうこのシーンは充分撮った。さあ次のシーンに移ろうではないか。なあに、シーンの移動を描く必要はない。キャメロンを眠らせておけ。彼女が目を覚ましたら撮影再開だ。」監督マンゴールドのこんな声が聞こえてくるかのようだ。実際私たちはどうやってクルーズがキャメロンをトウモロコシ畑から自宅に送り届けたか知らないし、どうやって彼がヘリコプターを撃退したかも、銃撃戦のさなか敵の館から二人がオートバイでどうやって脱出したのかも知らない。しかし省略を経てその分残った画面は充実したものばかりであり、そこには素晴らしい笑いが(サングラスを拾ってくれる赤ちゃん!)、スタイリッシュなアクションが(バイクに乗ったキャメロンがクルーズをまたぎながら拳銃を撃つかっこよさを見よ!)、心震えるラブシーンが(とりわけラストは涙が止まらなかった)溢れている。
石田晃人
『エンター・ザ・ボイド』
輪廻や死後の世界にそれほど興味がないので、映画の筋自体は特に語れるものは無かった。
ただ俺もいずれは死ぬので、作中で語られる宿命やら死の直前のトリップだとかいう話にはちょっと惹かれるものがあった。
この映画が嫌いな人でも、死に全く無関心でいられる人は少ないだろうし、そういう意味では多分観なかったことにはできない類の映画になるだろう。
登場人物に眼を向けると、謎が深くてかつその謎に説明が足りてない感じがまさに『赤目四十八瀧心中未遂』の尼崎のボロアパートの住人にそっくり。
麻薬をやったことがないから、麻薬を吸う前のジャンキーの自己弁護も単に自堕落を押し付けられる苛立ちしか感じなかったが、魔界村みたいな世界観の新宿歌舞伎町を一人称視点で歩く胡散臭さが心地よく、気持ち悪く吐き気を催すシーンがてんこ盛りな一方、ここが地獄だとしたら気持ち悪くて当然だと思えてくるのでその暴力性が許される。
この世界観を担保に暴力を作り上げるという構図自体が素晴らしい。
あと空間の捉え方がクラインの壺的っていうか、カメラがチューブの中に吸い込まれてってもう一方の口から出てきたと思ったら実はそこは元の空間だったみたいなカットがあってそこは超しびれた。
クラインの壺はユークリッド空間では4次元以上でないと表現出来ないので、私達は『エンター・ザ・ボイド』を観ることによって擬似的に4次元空間を体感出来ることになる。
「3Dじゃ、どやー」なんて言ってる映画より断然先端を行っていることになる。
全体的に撮影は革命的すぎるくらい良かった。
今江